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碁盤忠信 源氏礎[ごばんただのぶ げんじいしずえ]
『碁盤忠信 源氏礎』(ごばんただのぶ げんじいしずえ)は、1909年(明治42年)に横田商会によって製作・公開された日本のサイレント映画、時代劇映画である。日本初の職業的映画監督である牧野省三の監督7作目で、日本初の映画スターである尾上松之助の映画デビュー作である。 牧野省三は、1908年(明治41年)から横田商会の依頼で活動写真の請負製作を始めた〔『日本映画俳優全集・男優篇』(キネマ旬報社)〕。その第一作が『本能寺合戦』であり、この年だけで合計6本の作品を撮った。本作はその7作目であり、歌舞伎で知られる『碁盤忠信』の二場(「吉野山雪中」と「小柴入道宅」)を、牧野が経営する千本座に所属する俳優を使って撮影した。 撮影が行われたのは1909年(明治42年)10月17日で、千本座の夜間興行に差支えのないよう、千本座近くにある大超寺で朝8時から午後5時までかかって全二場約700尺を撮った〔『日本の芸談6 映画』(九芸出版)〕〔田中純一郎著『日本映画発達史Ⅰ 活動写真時代』(中央公論社)〕。佐藤忠信を演じたのはこの年に千本座の座付役者となった尾上松之助で、源義経を片岡市太郎、小車を尾上梅暁、覺範を嵐橘楽が演じた〔筈見恒夫著『映画五十年史』(鱒書房)〕。 同年12月1日、横田商会特約館の富士館で封切られた〔日本映画データベース「碁盤忠信源氏 礎」 〕。これ以降牧野と尾上のコンビで数多くの活動写真が作られていった。 ==脚注==
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「碁盤忠信 源氏礎」の詳細全文を読む
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